情動の発達 7 ~次世代の指導~         情動の発達 8 ~統合性の獲得~

次世代の指導

Eriksonの”人生の8期”において7番目に位置しているものは「次世代の指導」です。これによると、次の世代を育て、指導することは大人の大きな責任である、ということのようです。この場合の責任とは、成功した良き保護者であること、仲間や地域社会・国のために奉仕・貢献すること、を意味しています。つまり、自分たちの子供を育て指導するばかりではなく、次世代が成功できるように社会サービスのネットワークを支援することでも次の世代を指導できるということを意味しています。

ただ、この段階に至るまでに、順調に情動の発達を進んで来ているのかは大きな問題であるとも思えます。指導ということは、少なくとも指導を受ける者にとってはその相手が内的世界の発達している人物であることが望ましいわけです。触れる相手の価値観に大きく影響を受けてしまうので、指導者の情動が未熟であったり偏りがあれば、もしくは未熟が故に誘導的であったならば、受ける者が窮屈な発達をしてしまう恐れがあります。この点においては現在の日本では厳密な選別はされることなく、年齢や資格および知識量などの表面的なものによって判断されています。Eriksonの発達段階を着実に踏んで来た人物であるかどうかは、各段階で発達しうる情動についての傾向がみられることと、情動に反する心理学的な反応が残っているかを見ていくことで判断してゆくことも大事な目線であると思われます。

沈滞

次世代の指導という大人にみられる責任と対立する人格として沈滞があります。これは放縦や自己中心的な行動が特徴的な傾向をもつ状態のことをいいます。次世代の指導を担うには、ある意味でチームワークや社会性の高さが要求されます。しかし、沈滞という人格はそれとは異なる性質であり、指導には適さないということを言いたいようです。

統合性の獲得

心理社会的な発達の最終段階は統合性の獲得になります。この段階では、誰もが経験するであろう満足と失望の入り混じった状態に自ら折り合いをつけています。統合感覚とは人生において与えられた状況を最大限に活用し、そのような状況でうまくやってきた感覚です。

絶望

統合感覚と対立する特性は絶望です。これは統合感覚をもたらす人生の転機が訪れる前に死ぬのではないかという恐怖心を伴った広いいみでの嫌悪感や不幸艦として表現されます。