歯の「死」に至るスパイラル

歯の死のスパラル

歯科医師は最小限の副作用という犠牲を払って、最大限の健康上の利益を供給する。ということを念頭においていると思われています。

手法に明らかな価値を見出させるほど、十分に幅広い損益差があること。それによって期待できる健康上の利益がネガティヴな結果よりも上回るときのみに、手法は考慮されるべきです。

この際の適切な治療について、ただ単に生物学的な見解やそれに関わる技術的・臨床的パラメーターのみならず、心理学的・経済学的な結果についての十分な知識が必要であることが強調されています。

この観点からも、治験段階で解禁になる多くの「最新」がいかに薄氷の上を歩いているものであるか。

まずは、1993年と2002年の2回にも渡って強く論じられた内容についてお話しします。

歯の「死」に至るスパイラル

「患者は歯科医院に行くが、その臨床診断は単純化され気まぐれであることがしばしばある。
診断上の検査は、大部分が主観的なものである。

それゆえ、齲蝕診断がしばしば不正確でも、驚くには当たらない。

それと同時に、齲蝕の現況が、正当に考慮されることはなく、
齲蝕の危険因子については、一般的に検討されることはない。

そしてまた、修復に着手することが、’良い歯科治療’であると見なされる。

それゆえ、修復治療の決定は、特異的であり侵襲的となる傾向があるとしても、
驚くに当たらない。

しかしながら、齲蝕の病因学的な原因については分類されていない。
予防的な支援は十分ではなく、
齲蝕は、病気としてコントロールされていない。

本当のところ、歯科医師は、健常な歯質を削り去ることで達成感を得るようだ。
窩洞携帯に関する時代遅れの概念を使うことは、ありふれたことである。
歯科医師は、修復過程の厳格な性質を理解していない。

それゆえ、二流の品質の修復物がすぐに装着されるのは、驚くにあたらない。

それに加えて、バーによるダメージが、隣接歯にも分け与えられることは普通のことである。
不適切な隣接面のカントゥアーがプラークと歯周病の原因となる。

やがて、患者はリコールに呼ばれ、修復物のリコールでの評価は、特異的でありがちで、
溝となったマージン部分は、一般的には修復物のサインと見なされる。

こうして、現存する修復物はすぐさま失敗と見なされてしまう。

とくに、もし患者が他の歯科医院から転院仕立ての時には。

しかしながら、なぜ修復物が失敗してしまったのかについては、問題にされることはない。

それゆえ、修復物の失敗の原因が明らかにされなくとも、修復物がすぐさま取り除かれ
新しいものに置き換えられるとしても、驚くに当たらない。

修復物が、置き換えられるたびにその大きさが増していくのは、殆どどこにでも
見られることである。

これによって、歯はだんだんと弱くなる。

前の修復物の失敗は新しいもので繰り返され、この修復物に固有のサイクルは永遠に
続く、ということが分かっても、驚くに当たらない。

修復物のサイズが増すにつれ、必ず、修復物の形が複雑になり、それを作ることが
困難になるし、正しい齲窩の科学的治療があいまいになる。

それゆえ、人は、微生物学、化学的、技術的な歯髄に対する攻撃がより起こりやすくなる、
という事実から逃れられない。

全般的に、歯科医師は、治療の医原的な性質に関して理解できていない。

全く以って、歯科医師は、彼らたちが患者をより健康にしていると信じているし、

悲しいことに、患者もまた同じ幻想を抱いている。

しかしながら、冠は、歯のマージン部に適切に合わせることが難しく、

やがて、歯内療法の必要が起こるのである。

しかしながら、歯根形成が不適切で根管充填が不完全であれば、根尖病変がしつこく
繰り返すことも、別段驚くことではない。

このことは、歯根端切除や根管充填のやり直しretrogradeに繋がるのである。

驚くべきことには、歯科医師は、心の底から患者の歯を救っていると感じている。

しかしながら、歯はその問題が解決することなく、症状も続き、

最終的には・・・歯は抜歯されてしまうのだ!」

なかなか手厳しい論評ではあります。

けれども、日々目の当たりにする状況をみると、多くの部分においてはもはやこの論評の通りだと言わざるをえないと感じます。

「信じ切っていた概念が、本当は間違ったものであったなら」「今の概念の更なる上流の概念が再解釈されたのであれば」など、根底から考え直さないといけないのかもしれません。そうすれば、「現在の臨床の8割は過去に行われた治療のやり直し」という状況を改善して行けるかもしれません。

上記の論評は多くの部分では正しいと思われますが、それでも過去においては各々が医療の倫理について検討と改善を繰り返し、長年かけても到底及ばぬものであると感じながら追求していました。しかしながら、現在は過度の競争に怯え、医の倫理を軽視した者達を招き入れ、彼らの提供する間に合わせの倫理に納得し、自らが客寄せパンダとなり慣れないピースサインをして広告塔になってでも集客に精を出す。ということが現状のようです。

適切な歯科治療とは?

生物学的諸問題に対して技巧的で侵襲的な解決方法を施すという、臨床的な歯科医療に対して元々もたらされていた先入観のために、施される治療の適切さに関心が高まってきています。

歯科医療の質とは昔から技術的上手さや機械的な精密さと関連づけられてきました。そして、修復物の物理的な性質を十分に診査することが結果を左右するものと考えられてきました。

しかしながら、歯科医療の質という概念はもはや、技術的な解決方法の適切な物理的あるいは機械的な性質などではなくなりつつあり、施されている手法が個々の患者が抱えている問題に対する解決方法として、本当に最善であるかということを問題とするようになってきています。