矯正歯科治療の必要性 ~損傷と歯科疾患との関係~

「上顎切歯の前突があると、そうでない場合よりも2倍近くも歯を損傷しやすい」

このことを初めて本で読んだ時は(もう10年以上前のことになります)全く信じられませんでした。想像としてはぶつけて損傷しそうな印象はありましたけれども、2倍近くも多いというのは大袈裟か、もしくは上顎前突の分別があまいのではないかとさえ思ったほどでした。矯正歯科治療にエビデンスといえるようなものはほとんどありませんが、そのような分野の中でもその成書は最もエビデンスに近いのではないかといわれています。そのような書物がこのようなことを堂々と、そして何度も記載して念押ししていることに違和感すら覚えたほどでした。しかし、臨床を長くやってきて本当にその通りだったのだなと思うに至っています。
今回は、歯並びの不正と歯科疾患との関連を挙げ、矯正歯科治療の必要性についてお話しします。

前歯の損傷

歯の外傷
未治療の上顎前突をもつ子供の3人に1人は、結果として歯の破折や歯髄の失活を伴う上顎前歯に対する重大な外傷を経験する可能性があります。切歯が突出しているときに、外傷の機会を軽減させるには上顎前突の早期治療が必要であるとの見解も示されています。また、口唇からはみ出た切歯は乾燥しやすく唾液による干渉作用を受けにくく、咬合による自浄作用も働きにくくなっているため、プラークの堆積している場合が多いです。また、唾液による脱灰と再石灰化のサイクルによる恩恵を受けられないためかエナメル質が白濁してしまうこともあり、形状や色の濃さから審美的な障害を持つこともあります。しかし、それらの治療については効果的な方法もないため、時に難題となることもあります。

過蓋咬合

しっかりと噛み込んだ状態の時に、下顎の前歯が上顎の前歯に隠れて見えなくなってしまうような状態を過蓋咬合といいます。この過蓋咬合の中でも下顎切歯が口蓋と接するような極度なものは、場合によっては上顎切歯の喪失にもつながるような重大な組織の損傷を起こすことがあります。またそれほどの重篤な場合ではなくても、過蓋咬合による切歯乳頭の発赤・主張や疼痛などは日常的によく見かけ、食物を噛み砕く都合により上顎切歯の歯間部に詰まらせて齲蝕になるのを多く治療してきました。

また、咬合時に切歯同士が強い摩擦を伴いながら滑走を繰り返す場合、極度の咬耗を生じることがあります。これは時に象牙質の露出を招き、歯髄の失活を招くこともしばしば見受けられます。その他には過蓋咬合による下顎運動の制限や顆路角との大きな差異により顎関節症を伴うこともあります。そして、経年的に下顎前歯部に叢生が生じるなども起こります。特にAngle2級二類で上顎切歯が大きく口蓋傾斜をしている場合、歯の口蓋部の清掃不良もよくみられます。

歯科疾患との関係

この場合での歯科疾患とは齲蝕や歯周病のことを指します。この歯科疾患は咬合異常があると歯の手入れをうまく行えないので、また外傷を起こすので罹患しやすくなるのではないかと思われてきました。しかし、最近のデータでは咬合異常は歯や歯周組織の病気に影響を与えないことが示されています。実際に歯周病学の分野では外傷が歯周病の悪化を招くということは明確に否定され、二次的な役割を果たすにすぎないといわれています。口腔衛生の良し悪しを決定するもののうち、歯並びは第二義的なものであって、もっとも重要なものは個人の意欲と動機付けです。齲蝕感受性が高く咬合異常を伴う者は、咬合異常よりも口腔衛生状態の方の影響を強く受けることが知られています。

矯正治療を受けた経験のある者と、そうでない者とを比較すると、両者の間に歯周組織の健康状態に差はみられないようです。咬合異常と後の歯周病との関係も弱い関連性しか認められず、歯周病発現の原因になり得るいかなる初見も見受けられませんでした。ただ、矯正歯科治療の既往のある者はそうでのない者よりも歯や歯周組織に関心を抱くため、清掃状態も良い場合が多く口腔内の健康が維持されているように思われます。また、叢生部などの咬合異常の部位で齲蝕や歯垢を発見することを多くの臨床家は不思議に思わないでしょう。しかし、研究上では矯正既往と歯科疾患に罹りにくくなる点においては明らかにはなっていません。
このような際、論文に対して不信感を持ち論文形式の問題をつついて弾圧さえしようとする人もいるのですが、そもそも現象を解明してゆくことが研究ですから、状態の後に研究がきて結果が出るという流れです。虫歯がある状態が観察された後にその部分の咬合異常が検討され、その他の理由も探られ比較検討された結果が出てこなくては結論がでません。明らかになっていないのは途中経過であることも含まれるので、一時的な結果を引用して論文体系への批判に繋げる人はそもそも論文への解釈が荒いと思われます。

以上のことより、社会心理学と口腔機能のいずれにも関連のある諸問題こそが矯正歯科治療の必要性を生み出すと考えられます。